6.Good morning call



 メアズ・レイグとの交戦以来、放心がもたらす沈黙に静まり返っていたアルフレッドたちは、
シェインたちのチームが合流したのをきっかけにようやく普段の活気を取り戻していた。
 イーライが読んだ通り、施されていたロックを解除して大扉を開いたのはシェインたちのチームであった。
 アルフレッド、フィーナの両チームに遅れること小一時間、
苦労を重ねた末の成果を確かめるべく意気揚々と『セクト:クレイドルホール』へやって来たシェインは、
自分たちよりも先に別のチームが大扉の前に到着していると知ってヘソを曲げたものだ。

 メアズ・レイグのようなアウトローには出くわさなかったが、彼らのチームも大型クリッターとの連戦を幾度となく強いられていた。
 そればかりか、セキュリティシステムをハッキングしただけでは機能停止しなかったガードロボットが何体も襲い掛かり、
シェインたちの行く手を阻んだのである。
 側面部分に溶接された金属プレートへ『Σ・バースト』なるコードネームが銘打ってある自走砲型ガードロボットは特に厄介で、
八連装もの砲門から光学ミサイルを容赦なく浴びせ掛けてきた。
 侵入者の排除をプログラミングされたΣ・バーストが連射する光学ミサイルは、シェインたちを寄せ付けぬほどの攻撃力を誇り、
その上、自走砲に張られた装甲はフツノミタマの居合抜きを弾き返すほど堅牢なものであった。
 バリアフィールドを展開させられるダイナソーのエッジワース・カイパーベルトが無かったら、今頃は全滅していたかも知れない。
 光学兵器に対して最大の効力を発するバリアフィールドを隠れ蓑に砲撃を凌ぎつつ自走砲の懐へと飛び込んだフツノミタマが、
装甲で守られていないパーツ間の継ぎ目にドスを突き立ててコードを寸断し、
電子回路に異常を来たして奇怪な行動を取るのみとなったところへニコラスがヴァニシングフラッシャーを浴びせかけ、
ようやくΣ・バーストは沈黙した。
 合計五体ものΣ・バーストと遭遇したシェインたちは、配備された数だけ同じことを繰り返したのだ。
 シェイン自身、閉所での戦いになる為、大型のビルバンガーTは発動させられなかったものの、
アルフレッドから預けられた『MS-DMS』のCUBEを使って大いに力闘していた。

 文字通り、身体を張って得た成果なのに、辿り着いたときには漁夫の利よろしく手柄を横取りされた後と来たものだ。
 感情を素直に面に出すシェインや血の気の多いフツノミタマ、
人より根性がひん曲がっているダイナソーが不貞腐れるのは誰にも予想出来たが、
今回は珍しくニコラスとトキハも口をへの字にしている。

 とは言え、アルフレッドたちにとって見れば彼らから投げられる不満の声は、迷惑以外の何物でもなかった。
シェインたちの苦労はわかるが、こちらもこちらで死闘を演じていたのだ。
 漁夫の利に舌なめずりする余裕など絶無であったし、生きるか死ぬかの瀬戸際であったなら、
例え大扉の向こう側へ退路を求めたところで責められる謂れもあるまい。アルフレッドは改めて「いい迷惑だ」と睨みつけてやった。
 言いながら軽く咳き込んだその横顔には無数の裂傷が見られる。凝固した血の飛沫も至るところに散見された。
イーライとの戦いで負わされたダメージは予想以上に深刻なようだ。

「あ〜あ、せっかくしゃかりき踏ん張ったのに、美味しいところはアル兄ィたちで横取りかよぉ。
ボクもトキハもラスだってめちゃくちゃ戦いまくったんだぜ? あとついでにオヤジも」
「なにが美味しいものか。こちらもこちらで死ぬところだったんだぞ………」
「つーか、オレはついで扱いか、コラ。誰のお陰で生き延びたと思ってやがんだ? あ? あァんッ!?」
「ついでにも入ってないオレ様はどーゆー枠なんスかねぇ、ボクちゃん? ドラフト指名っつーことで別枠なわけ?
それとも空白のナントヤラってヤツかぁッ?」
「………今までいまいち実感が涌かなかったが、お前たちのバカ騒ぎを見てると生き長らえたんだと
自覚が出来てくるな。こんな騒がしさ、この世で無ければ味わえん」

 慌てて背中をさすってやるシェインだが、悪態を吐くのも忘れない。
 今度の悪態は漁夫の利を咎めているのでなく、互いの健闘を認めた上での冗談である。
 脇腹に負ったダメージが響いて咳き込んだアルフレッドへ触れるシェインの手は、
不貞腐れたような悪態と正反対に兄貴分の背中を何度も何度も心配そうに擦っていた。

「トキハが手際よくやってくれたから良いけど、もたついてたらマジでやばかったぜ。
て言うか、トキハがいなけりゃこのデカい扉も開かなかったろーしな」
「それはどうかな。僕は手間暇を省く横着をしただけだよ。ラス君やサム君なら僕がいなかったとしても
きっと上手く突破したはずさ」
「オレたちにそんなアタマはねーって。お世辞抜きでお手上げになってたよ、お前がいなかったら」

 互いの事情を知るにつけ、抱いてしまった不満を恥じてアルフレッドたちに頭を下げたニコラスは、
一通り謝罪を終えてからトキハの肩を叩いて彼の健闘を称賛した。
 ニコラスの言う通り、大扉の解除にもトキハは特異科学(マクガフィン・アルケミー)の勉強で培った技術を振るっていたのだ。

 探索を行なう内、トラップ解除の為にヒューと共に訪れたリーヴル・ノワール中枢とは
別系統のシステムを制御する部屋へ辿り着いたシェインたちは、早速、この掌握に乗り出した。
 掌握に乗り出したのはトキハだけなのだが、この際、細かいツッコミは割愛するとしよう。
 程なくシステムにアクセスし、デジタル・ウィンドゥにリーヴル・ノワールの見取り図を表示させたトキハは、
明滅を繰り返すそのインフォメーションボードの中に封印された画域を発見し、
更にその画域と回廊とを遮断する大扉に電子ロックが施されているのも確認すると、
いつも肩から提げているバッグから取り出した教本らしい書籍を片手にロックの解除を試みた。
 『誰でもかんたん!三分間ハッキングマニュアル〜隣のお姉さんの赤裸々プライベートをダウンロード』などと
表紙に白抜きでタイトリングされた教本が何を目的に発行されたものかを穿ち出すと面倒なことになりそうなので
見なかったことにするが、それはともかくトキハの仕掛けたハッキングは
今度もリーヴル・ノワールのシステムを掌握し、封印された画域への道を開いたのだった。
 そうしてやって来た『セクト:クレイドルホール』でアルフレッドやフィーナたちと合流した次第である。

 トキハもトキハでΣ・バーストを相手に一歩も引かなかったようで、白い包帯で頭をグルグルに巻いている。
 「奥の手出さなかったクセして大袈裟過ぎるぜ」と八つ当たりし足りないダイナソーにボヤかれたが、
コンピューターをハッキングして封印の大扉を開放させたのはお釣りが来るほどの活躍だ。
 アイルの仰々しい言葉遣いを借りるなら、「リーヴル・ノワール探索における随一の功績は
同朋諸君に進むべき道を示したウキザネ殿を置いて他にはおるまいて」。

 合流後、アルフレッドたちは大扉を潜り、リーヴル・ノワールの深奥へと通じる回廊を歩いている。
 本当ならフェイたちの合流を待つのが筋なのだろうが、美味しいところを持っていかれた以上、
せめてゴールへの一番乗りだけは譲りたくないとシェインがゴネ始め、止む無く前倒しで探索を続行することになったのだ。
 定時連絡の折に事情を説明し、これをフェイは承諾してくれた。
 どうやら彼のチームは他の三組と異なって目ぼしい成果を挙げられなかったらしく、
モバイルの向こう側からはひどい落胆が伝わってきた。
 殆んどどん底に近い落ち込みようで、ソニエに一喝されてもまるで効果が無かった。

 仕方なしにケロイド・ジュースに代わって貰い、フェイチームの内情を確認したところ、
ホゥリーとジョゼフがフェイをさんざんにこき下ろしたと言うのだ。

「ベテランの冒険者でありながら何の成果も挙げられない体たらく」
「人海戦術もピンとカムしないロースペックなブレインじゃ合理的なクエストなんてアンリーズナブル」
「年下の言いなりになるのがお似合い」
「バットしかし、ブレインばかりがライフじゃナッシングよ。クリッターハンティングにブラッドロードを上げるライフもグッドじゃん。
大体、チミにはそれしかナッシングだしサ♪」

………などと好き放題に皮肉られたらしく、内情を説明するケロイド・ジュースは言葉以上に溜息を含ませていた。
 “新聞王“ならではの膨大な知識が生み出す理論武装と、
聴く人に生理的な嫌悪感を抱かせて止まないゲップ混じりのホゥリーの難癖が
サラウンドで、しかも一秒とて絶えず襲い掛かってくるのだ。
 まかり間違えばノイローゼに罹ってもおかしくない状況である。

『………僕の承諾を得る必要はないよ。この探索の先頭はアルだ。君の思う通りに行動すればいい。
僕らはご相伴に預かるだけさ………』

 そう言うフェイの声は息も絶え絶えで、アルフレッドには兄貴分の疲弊が気にかかって仕方なかった。

 そして、このときアルフレッドの抱いた不安は最悪の形で的中することとなる。
 今から数時間後の話になるのだが―――戦力を分散させる為にフェイたちの一行に同行させられていたムルグは、
合流するなりフィーナに泣きついた。
 四方八方からフェイに投げられる厭味の応酬は横で聴いているだけのムルグにまで相当なストレスを与えたらしく、
涙ながらに居た堪れなくて仕方なかったと彼女は語っていた。

 傍若無人を具現化した存在(※アルフレッド談)と言えるムルグですら居た堪れないと感じるのだ。
 フェイ当人にとって生き地獄そのものだったことは想像に難くない。

「―――そうそう、さっきトサカの兄ちゃんも奥の手っつってたけどよ、ドサクサで俺っちも出しそびれちまったぜ。
俺っちのとっておきさえ発動させられてりゃあ、レオナちゃんを思い通りに出来たのによぉ。
あとついでにイーライとか言うクソガキも」
「思い通りって………私が意識過剰なだけかも知れませんが、シェイン君の手前、
あまり情操教育に好ましくないことは言わないほうが良いですよ、ヒューさん」
「比喩だよ、比喩。そんだけ俺っちのトラウムはすげーってことだよ」
「なんや、お前さん、トラウムなんて持っとったんかい。せやったらハナから使(つこ)うとけばええやん」
「チッチッチ―――とっておきってのは、最後の最後まで温存しとくからとっておきっつーんじゃねーの。
最初から必殺光線を出すヒーローなんていね〜べ?」
「………そう言うカタルシスはテレビや映画だけに留めておいてくださいよ。
リアルな世界でそんなことをされたんじゃ私たちの身が保ちませんって。
古今東西、兵力を温存して余裕を見せ付けている王様ほどいざと言うときに脆いものです。
ヒューさんの王様気取りに付き合わされて犠牲になるのはまっぴらですよ」
「安心しろって。俺っちはもともとマクベスにゃなれる素質はねーってばよ。
王様だの兵力だのと考える頭の容量は、もう女の子フォルダで一杯になっちまってるからさ」
「マクベスにはなれなくてもオフィーリアになる素質はありそうですね」

 長い長い回廊を進む内、会話は自然とイーライたちメアズ・レイグの話題になっていった。

「不埒な話題を続けるようで悪いが、あのイーライと言う男も相当な色狂いだな。
恋人の目の前で別の女を口説くとは不義も良いところだ。ここまで徹底して下衆を突き詰められたら、逆に拍手を送ってやりたくなる」

 セフィたちの言葉尻に乗り、イーライがトリーシャに対して取った行動に憤慨するアルフレッドだったが、
これは大いなる墓穴であり、「お前が言うな」と一部を除く殆んど全員から無言の反論を喰らった。
 どの口が言うか、とはこのことである。
 ソニエに至っては、レオナへ迫撃する為に作った魔力のガンストックを「あら、手が滑ったわ」とアルフレッドの後頭部へ投げ付け、
悶絶する彼の横を素知らぬ顔で通り過ぎていった程だ。
 いくらなんでもやり過ぎだ、と文句の一つも言ってやりたかったが、
通り過ぎる間際に汚物を見るような視線をぶつけられてしまっては、
込み上げる反発をグッと飲み込むしかなかった。
 と言うよりも、続け様に後頭部へ第二撃を喰らってしまい、文句を言うどころの状態ではなかったのだ。
 アルフレッドの後頭部にめり込み、次いで回廊に乾いた音を立てたのは、ハーヴェストが得物とするムーラン・ルージュである。
 「あっ、ムーラン・ルージュが勝手に…」と言いながらスタッフを拾い上げるハーヴェストの白々しいことと言ったらない。

 アルフレッドに向けられた冷ややかな視線の意味が掴めないマリスは、
後頭部を擦る彼に寄り添い、「痛いの痛いのとんでいけ」と古風なおまじないを施している。
 そうした行為が更にアルフレッドへの風当たりを強くするのだが………まさに知らぬは本人ばかりなりと言うことだ。

「あー…ダメだ…ダメダメだ………ネイトにどんな顔見せればいいのかなぁ………どんな態度で………うぅぅ〜………」
「それは浮気じゃないよ、トリーシャ。気の迷いなんて女の子なら誰でも経験することだもん。
ネイトさんだってわかってくれるよっ」
「………あのねぇ………夢は可愛いお嫁さん―――みたいなフィーに言われても、
すこっしも説得力ないんですけど………」
「そんな小声で言わなくても―――ま、まあ、それはそれ、これはこれって言うかぁ」
「こいつはぁ………大声で喚いてやろうかしら、今のやり取りっ!」
「じょ、冗談だって! 落ち着いてったら! ねぇ、トリーシャ〜」

 トリーシャはトリーシャでネイサンと言う恋人がいながらイーライに心揺らいでしまったことへ激しく自己嫌悪し、
先ほどから鬱々と頭を抱えている。
 そんな親友をフィーナは懸命に慰めているが、トリーシャが立ち直るには少し時間がかかりそうである。

「そう言や、アル兄ィのグラウエンヘルツもやられたんだっけ。………ちょっと信じらんない話だけど」
「全くガキの言う通りだぜ。てめぇよぉ、変身するんなら責任持って勝っとけやッ! ぶっ倒す標的が増えちまったら手間だろうがッ!」
「なんならあいつの相手はお前に任せる。張り合いが無いとまた文句を言われそうだが、
俺は二度とメアズ・レイグに関わるのはご免だ」
「あぁんッ!? 悔しかねぇのか、てめえは。やられたら勝つまで追っかけるッ! 
そいつが男のケジメじゃねぇかよッ! なのに諦めんのか? 一度負けたくらいで尻尾振るってか? 
ケツ捲くるってかッ!? どんだけヘタレなんだ、てめぇって野郎はぁッ!!」

 ソニエとハーヴェストから投げ付けられた息の合った攻撃を自業自得と見なしているシェインは、
今度はアルフレッドに手を差し伸べることはなかった。
 弟分にまで呆れられていると思い知ったアルフレッドはトリーシャに倣って頭を抱えたくなったが、
頭に血が昇ったフツノミタマはそれを許さず、まるでイーライとのリターンマッチを避けるかのような口振りの彼を
臆病風だのチキン野郎だのとさんざんに罵った。
 かつてグラウエンヘルツに執着していたフツノミタマにとって、絶対的とも言える好敵手が自分以外の人間に倒されたことが
気に食わなくて仕方ないのだろう。
 胸倉を引っ掴んでアルフレッドを揺さぶり、リングサイドでボクサーを応援するトレーナーのように
「立て! 立ちやがれッ! ヘタレじゃねぇって証拠を見せてみろ!」と彼の闘争心に火を点けようと必死だ。

 フツノミタマの言いたいことも理解できるし、完敗を喫した悔しさが全く無いと言えば嘘になる。
 だが、勝てるまで何度でも戦いを挑むというのは合理的とは言い難い。
 少なくともアカデミーで履修した兵学を基に判断するのであれば、
フツノミタマが繰り返す不屈の精神論は愚策以外の何物でもなかった。
 今回はイーライが戦闘を切り上げてくれたからダメージも最小限に抑えられたが、
次に遭遇したときはどうなるかわからないのだ。全滅と言う最悪の結果も十分に考えられる。
 確実に勝てると言う算段が立つまではメアズ・レイグとの接触は何としても避けたいと言うのがアルフレッドの結論であった。
 さりとて修行してまでイーライを倒したいと言う執着はアルフレッドにはなく、
仮に“確実に勝てる算段”とやらが立ったとしても自分から戦いを仕掛けようと言う意欲は今のところは涌いていなかった。
 自分たちの旅にプラスにならないような相手なら無視してしまっても構わないとさえ彼は考えている。
それを臆病者だと罵るなら好きにしてくれと言うのが本音である。

 メアズ・レイグとの接触を避ける旨を理詰めで説明されたフツノミタマは、案の定、顔を真っ赤にして怒り狂ったが、
アルフレッドと意見を同じくするセフィもヒューも口を揃えて「一度でもメアズ・レイグと戦えば、
そんなバカな真似はしたくなくなる」と再戦要求を突っぱねた。
 助け舟を寄越せとばかりにローガンを見やるフツノミタマだったが、
肉体派と言うことで思考が近いと思っていた彼も首を縦には振らなかった。
 一応、「サシの勝負やったら、喜んでやったるんやけど、仲間巻き込むっちゅーのだけは勘弁やな。
あいつらは危険過ぎるで」と条件付きで賛同をしたものの、ハーヴェストを殺されかけたこともあり、あまり乗り気ではないようだ。
 フィーナ、ソニエ、タスク…とフツノミタマは順繰りに同調を求めていったが、最後に待っていたのは孤立無援。
メアズ・レイグの恐ろしさを思い知った者は、皆がアルフレッドと見解を同一にしていた。
 例外的にハーヴェストが度し難いアウトローの駆逐を吼えたが、
彼女の熱血一直線な正義感が戦いの勝ち負けにのみこだわるフツノミタマと交わるとは思えない。

「―――ィよっしゃあッ! 一番乗り、ゲットしちゃったもんね〜ッ!!」

 いよいよ八方塞になったフツノミタマにとって、急に飛び込んできたシェインの素っ頓狂な声は、
ある意味においては最も望ましい助け舟だったのかも知れない。
 長い長い回廊を進みきった一行は、ついに『セクト:クレイドルホール』の最深部に辿り着き、
その一番乗りをシェインが獲得した次第である。


 メアズ・レイグと交戦したホールのような広い空間へ行き着いた一行の目をまず引いたのは、
部屋の各所に散見される楕円形のカプセルだ。
 大人が入るには小さ過ぎるものの、シェインくらいの体格の子供ならスッポリと包める程度の大きさのカプセルが、
まるでカタゴンベに安置される無数の棺のように部屋中に並べられていた。
 カプセルには点滴の管を思わせる透明のケーブルが二、三本と差し込まれており、床はそのケーブルで網を張られている。
 気を付けていないと足元を取られてしまうような状態で、現に注意力が散漫になっていたトリーシャとフィーナは
ケーブルの網目に引っ掛かって盛大に横転した挙句、本日二度目の鼻血を垂らすハメになった。

 天井を見上げれば、培養液と思しき液体――おそらく生体研究に用いられていた物と同じ液体だ――が
泡を立てるガラスの筒が張り出しており、筒の内部に設けられた棒状のライトが
不気味な明滅をアルフレッドたちの頭上へと拡散させている。

 突き当たりにあたる正面の壁には創造の女神イシュタルを象った大きなレリーフが彫刻されているが、
トキハはこれを見るなり、「生命を弄んでおきながら創造の女神を奉じるとは、これ以上の皮肉と冒涜を
僕は見たことがありません」と吐き捨てた。
 「懺悔のつもりかも知れませんね」とはトキハの言葉尻に乗ったセフィの弁だが、
研究者へ理解を示したのではなく、強い語気にはありったけの軽蔑が込められいる。

「なんとも面妖な―――ウキザネ殿、この部屋の有様、そこもとは如何に見る?」
「難しい質問をしますね………」
「どうせまた人体実験用のメカなんじゃねーか? アタマのおかしい野郎は何時でもどこでもイカレたことしか
しやがらねーんだな。アタマが清く、気立ても正しく、おまけにカンバセまで美しい俺サマにはまるっきり理解できねーよ。
もっと青春しやがれってんだ。きらめきまくりな青春してりゃあ、こんなネクラな真似しねーってもんよ。
ココにいたっつー連中はよぉ、学生時代に便所の個室へ閉じ込められたクチだぜ、ど〜せ。
しかも、牛乳雑巾とバケツ一杯の水をブチ込まれるっつーコンボまで経験済みな」
「下劣な男の歪曲した偏見に同調せねばならないのは甚だ遺憾だが、此度の見立てには小生も頷こう。
拒否反応で首の骨が軋んで仕方ないがな」
「………ったく、いちいち癪に触る言い方しやがるな、このアマぁ。素直にプログレッシブ・ダイナソー様、最高!
アナタの意見に私はもうメロメロですッ! …くらい言ってみやがれ! 俺サマの偉大さに平伏しな!」
「生憎だが、貴様の虚言壁に付き合っている暇などない。小生の全身に現れた蕁麻疹を
快癒せしめる特効薬を進呈してくれると言うのなら耳を傾けてやらんでもないがな。
尤も、貴様が小生の視界から消滅してさえくれたら、我が身の異常も鎮まろうが」
「こ、こんにゃろ………ッ!」
「―――残念ながら、二人の見立てはどちらも外れているよ」
「「なぬッ!?」」
「ここは実験場じゃない。その一段階先のステップにある場所だよ、きっと………」

 そのトキハの分析によれば、此処は人体および生体実験によって生まれた人工生命を保管しておく為の場所だと言う。
 カプセルは人工生命をコールドスリープさせる機能があるのだろうともトキハは付け加えた。

「それにしたってぞんざいな扱いもあったもンだね。みンな、ミイラになっちまってンじゃないか」
「もう何年も誰かが出入りしてなかったみてーだしな。大方、耐用年数を超えたか何かで
中枢のエネルギーバイパスが壊れてさ、生命維持装置が働かなかったんだろうよ。
俺っちらがシステムイジッたくらいですぐにシオシオになっちまうとは思えねーし」
「破却するなら破却するで、ちゃんと落とし前つけてからいなくなりなさいよね………。
フェイに頼んでここの研究者たちを全員しょっ引いてやろうかしら。まだ生きてるヤツもいるでしょ。
手前ェらの勝手で弄んだ命に対する償いは絶対にさせなきゃならないわ」
「及ばずながら力を貸すわよ。正義の名のもとに裁きの鉄槌を振り下ろしてやるんだッ!」

 カプセルの中を覗き込めば、トキハの言う通りに人造された生命らしき物体が納められているのだが、
その殆んどが干乾びてミイラと化している。
 時折、空のカプセルも見つかるが、最初から何も納まっていなかったか、
あるいは、僅かな残骸のみを痕跡として風化してしまったか…である。
 部屋の様子から判断材料を拾い上げたヒューの推理はおそらく的中しているだろう。

「ヘイヘイ、オレの愛に気付いてくれないマサコみたく、ニブチンはどこにでもいるもんだねぇ。
この区画の名前を、ほら、復唱♪ はい、復唱♪ クレイドルってのは揺りかゴベアぁッ!?」
「揺りかごとは粋なネーミングもあったもんでしょう? そこのハカセくんが分析した通りよ。
リーヴル・ノワールで行なわれる全ての研究の集大成がこの部屋そのもの。
コールドスリープ用のカプセルは、まさしく試験管ベビーたちのクレイドルよ。
………パイナップル頭の言う通り、打ち棄てられてもう何年も経ってるけどね」
「………解説には感謝するが、相方を蹴る意味があったか、今? 本当に何もしていなかったと思うんだが」
「覚えておくことね、銀髪の優男。愛の押し売りはときとして憎悪を生み出す引き金になるのよ。
生理的に嫌いな相手なら尚更ね。そんな相手から愛だの何だのを押し付けられたら、あとはもう実力行使で黙らす以外に無いわ」
「………だからと言って、指を一本一本踏み潰していくのはどうかと思うんだが………」
「マッサージの一環よ。あたしはこのデブにダメージ与えてるんじゃなく癒してるの」
「ハァハァ………気が遠くなるくらい痛いけど………マサコの足の下も………快…か―――ひゅぶぅッ!?」
「ね? 気持ち良くなってるでしょう?」
「………喉仏に踏みつけて良いツボは無いんじゃ―――いや、もうなんでも構わん………」

 トキハとヒューの推察を正解だと裏付けてくれたのは、またしても現れた『セピアな熊ども』である。
今度は端末を介してでなくデジタル・ウィンドゥに直接グラフィックを投影させての登場だ。
 相変わらずワイルド・ベアーはクール・ベアーの手頃なサンドバックとなっており、延髄を蹴倒されて以降、
物言わぬオブジェと化している。
 そんな相方に情け容赦無く追い撃ちをかけるクール・ベアーのえげつなさも相変わらず健在だった。

「さっきはさんざんにやられまくったみたいね。数で勝って、変身っぽいのまでしたのに、そりゃあもうボロ雑巾みたく。
………ダサいったりゃありゃしないわね」
「だろ? そう思うだろ? ホレ見ろ、どいつもこいつも、負けっぱなしなんざ男が廃るつってんじゃねぇかッ!
今ならそう遠くにゃ行ってねぇハズだッ! てめぇ好みの裏工作も目ぇつぶってやっから、
とっとと再戦して来いやッ! オラッ、行くぞッ!! オレも癇に障ってしょーがねーからよ、今度だけ手ぇ貸してやらぁッ!!」
「お前はちょっと黙っていろ―――敗北を誹られても何も言うまい。事実に反証しようとするだけ虚しくなる。
だが、あいつらは聞き捨てなら無いことを言っていた。再戦を果たすより先にそれを確かめたいんだ」
「………“眠り姫”ってヤツかしら?」
「スリーピングビューティーとはまたキザな例え方したもんだよな〜、あの兄ちゃん。
なんか帰り道で“扉は開かれた”とか輪廻とかブツブツやってたけど、ロマンチストっつーか、
ちょっとアタマが可哀相なタイプなのかもね」

 そう―――去り際にイーライが残した“眠り姫”と言う言葉がアルフレッドにはずっと気に掛かっていた。
 瀕死の状態から鮮やかに復活したワイルド・ベアーが古い童話から引用して“スリーピングビューティー”と称した存在が
この最深部に在るのではないか、と。
 “眠り姫”とわざわざ言い残したからにはそれなりに大きな意味を持っているのは間違いない。
 訳知り顔で、それも相手に強い印象を植え付けたいかのような極度に芝居がかった口調で言い残したのだ。
これで何の意味も無かったとしたら、それこそワイルド・ベアーが失笑した通りの人間である。
 長年、この地のナビゲーションを務めてきた『セピアな熊ども』であれば、
真偽を確かめるだけの手がかりを持っていてもおかしくないし、それを期待したからこそ、
敗北への誹謗を堪えてまで助言を求めたのだ。

「ア、アル兄ィ、ちょっと来てッ! 早く、早くッ! み、見つけた、見つけたよッ!
まだ生きてるカプセルを見つけたんだッ! このコ、まだ生きてるよッ!!」

 ワイルド・ベアーが勿体つけて答えを焦らしていたそのとき、カプセルを見て回っていたシェインが大声でアルフレッドを呼び寄せた。
 声には明らかな動揺が含まれており、なにやら相当慌てている様子だ。
 そして、動揺と共に大きな興奮もシェインの声には含まれている。
 部屋中を見て回っている内、正常にコールドスリープを機能させているカプセルを発見したのだ。

 こうなるともうデジタル・ウィンドゥそっちのけでカプセル本体に皆の意識が釘付けになる。
 せっかくの見せ場だと言うのに焦らし過ぎてコケてしまったワイルド・ベアーは、
カプセルへ群がっていく一行を見送りながら「なんかこう………とてつもない厄年がずっと続いてる気がする」と
自分の間の悪さ、運の悪さへ盛大に肩を落とした。
 そんな相方をクール・ベアーは優しく慰めるどころか、「無様」の一言で殴り倒し、さんざんに踏み躙った。

 件のカプセルはちょうど女神を象ったレリーフの真下にあったもので、
ひょっとすると自然の法則を外した科学者にもイシュタルの加護がもたらされたのかも知れない。
 仮にそうだとすれば、まさしくイシュタルの慈悲は罪人も何も関係無く万人に等しく訪れると言う伝承が再現された形である。
 あるいはそれは、神々の領域へ踏み込まんとした愚かな科学者たちへの何にも勝る皮肉とも言えた。
 “バベルの塔”を完成させることなど、矮小な人間には叶わぬ夢なのだ―――と。

 そして、全知全能たる女神の限りなき慈悲によってこの世に生を留められた“眠り姫”は、
冠するその異称そのままにカプセルの中で安らかな寝息を立てていた。
 年の頃はシェインより二、三つ上だろうか。あどけなさを残してはいるものの、そばかすの跡も無く、
幼年期の終わりがすぐそこまで訪れていることを窺わせる顔立ちだ。
 アーモンド型の大きな目は、瞼を開けば世界の全てに溢れんばかりの輝きを向けるに違いない。
 マリーゴールドのベリーショートはどこか向日葵を思わせる雰囲気を醸し出しており、
陽の下に飛び出したなら、きっと燦然と光を発するだろう。
 女神の微笑と揺りかごに包まれながら深く長い眠りに就いているその少女は、
まるで小さな蕾のようで、やがて来る大輪の花を咲かす瞬間を待ち兼ねている風にも見えた。

 ただ、まじまじと観察するのは男性陣にはいささか憚られた。
 コールドスリープ状態である為、外気を意識する必要が無いからだろうか、
それともカプセルの内部に適切な空調が行き届いているからだろうか、
揺りかごの中の“眠り姫”は衣服らしい衣服を身に着けておらず、殆んど半裸に近かった。
 各部位に貼り付けられたテープのようなものが下着の役割を果たしているものの、
ピッタリと吸着しているが為に身体のラインが露になっており、シルエットだけなら全裸であるのと変わらない。
 子供相手に欲情する変態的にして犯罪的な嗜好の持ち主はこの中にはいなかったが、
それでもやはり目のやり場に困ってしまうのだ。

「アル、なんか目付きがいやらしいんだけど………」
「アルちゃんは見ちゃいけません」
「誤解を招くようなことを言うな! それも二人揃って!」

 アルフレッドに至ってはフィーナとマリスに二人がかりで釘を刺される始末である。
 本人に他意は無かったのだが、二人の発言は彼に濡れ衣を着せるに足る発言であり、
これを聴いた瞬間からソニエとハーヴェストはアルフレッドに向ける視線を更に鋭くしていった。
 あらぬ疑いを掛けられた上に反論の余地さえ得られない絶望的な状況にアルフレッドはもう泣きたい気分だった。

「なんかもうグダグダになっちゃったけど、その娘がメアズ・レイグってコンビの言ってた“眠り姫”だよ。
本当の名前は“眠り姫”じゃなくてエンジェル・ハイロゥってんだけどさ」

 どうにか失意から立ち直ったワイルド・ベアーは、
ここが挽回の機会とばかりに胸を張って“眠り姫”のことをアルフレッドたちに紹介した。
 ワイルド・ベアーは、このいたいけな“眠り姫”を『エンジェル・ハイロゥ』と、そう呼んだ。

「エンジェル・ハイロゥ………天使の輪、か。随分と仰々しい名前があったものだな」
「あぁ、そっちはまた別のニックネームだっけ。………まあ、いいや、コールドスリープを解いてあげるから、
自己紹介は本人からして貰ってちょーだいよ」
「………良いのか? と言うか、お前たちにそんなことが出来るのか?」
「この娘のコールドスリープを管理するのも、あたしたちに与えられた権限の一つなのよ。
そして、その役目は今日をもって終わりになった」
「スリーピングビューティーが目を覚ますのには王子様のチュ〜がお決まりなんだけど、
ボク以上の男前は見つかんないしね。フツーの解凍で起こしてあげるよ」
「あの男の言葉を借りるなら、扉は開かれたってコトなのかしらね」
「ちょ、ちょう待ちぃや! ワイらかて心の準備っちゅーもんがやな………」
「男だったらデンと構えてなさいな。あんたが本当の“漢”なら、心の準備も覚悟も、数秒あれば足りるでしょ」

 コールドスリープを解くと言う『セピアな熊ども』に一行はそれぞれに困惑を浮かべた。
 意味ありげにエンジェル・ハイロゥと呼ばれた“眠り姫”に興味があるのは確かだし、
発見してしまった以上はこのままリーヴル・ノワールへ放置するわけにもいかない。
 破却されて数年が経過している上、メンテナンスを施されていないカプセルはとうの昔に耐用年数を超えており、
いつ生命維持装置が停止して“眠り姫”に周囲と同じミイラ化させてしまうかわかったものではない。
 だが、しかし―――だからと言って、偶然居合わせただけの自分たちが、
何の資格も持たない自分たちが軽々しくコールドスリープを解いてしまっても良いのだろうか?
 ………この躊躇を拭いきれないのだ。

 “眠り姫”は少女の容貌をしているが、もしかしたらそれは見た目だけで本当は人外の存在なのかも知れず、
そうなると研究に携わった者でなければ正確には制御し切れまい。
 解放したところで生命維持の方法が判らねば、不幸な目に遭わせるのは明白だった。

 また、コールドスリープそのものに意味があるとも予測できる。
 あるいはこの“眠り姫”はヴァンパイアの如く目に付く人間へ手当たり次第に襲い掛かり、
病原体を振り撒く悪魔であり、病理の拡散を防ぐ為に研究者たちがコールドスリープを用いてこの地へ永遠に封印した―――
甚だ空想の域ではあるものの、可能性の一つとしては絶対に否とも言い切れない微妙なラインだ。
 想定される問題から突飛な発想まで次から次へと堂々巡りしては、“眠り姫”の受け入れを迷わせるのである。

 だが、躊躇する一行を尻目に『セピアな熊ども』は遠慮も待ったもナシでコールドスリープの解除を進めていく。
 何らかの処理を行なっているのか、デジタル・ウィンドゥは花畑の映像と『少々お待ちください』と言うテロップを映し出したまま、
完全に静止してしまっている。
 処理の進捗状況を確認できるものと言えば、ビープ音と思しき極めて電子的なメロディと、
ワイルド・ベアーの「ちょッ………ストレス発散に舌を引っこ抜くのはダ―――めろげべッ!?」と言う
身の毛もよだつ絶叫くらいだった。

 コールドスリープの解除が始まってジャスト三分後、クール・ベアーがデジタル・ウィンドゥ上に再び姿を現し
――足元には全身を小刻みに痙攣させるワイルド・ベアーが転がっている――、全ての作業が終わったことを告げた。
 それと同時に“眠り姫”が納められていたカプセルの蓋が上方へスライドし、開放と共に内部からおびただしい量の白煙を吐き出した。
 ドライアイスのような物質なのだろう。白煙に触れた指先へ骨身まで軋むほどの冷気が沁み込んで行く。
 白煙が収まる頃合を見計らってコールドスリープ解除の完了を知らせるアナウンスとアラームが備え付けのスピーカーから鳴り響き、
カプセルを囲むアルフレッドたちに緊張を走らせた。

 今まさに“眠り姫”が覚醒の瞬間(とき)を迎えようとしている。
 メアズ・レイグが、『セピアな熊ども』が、含みを持たせてその存在を示唆した“眠り姫”が。



 ―――エンジェル・ハイロゥと呼ばれた少女が………。



(………この期に及んで臆するとは面目も何もあったものじゃないが―――これで本当に良かったのか?
事情も何も知らない人間が無責任に揺り起こしてしまって………………)

 アルフレッドが自問に対して明確な答えを出すよりも“眠り姫”の覚醒のほうが幾らか早かったようだ。
 二、三度身じろぎした後、欠伸と共に双眸を見開いた“眠り姫”は、
寝惚け眼を擦るのもそこそこに勢いよく上体を起こしながら大声を張り上げた。
 エンディニオン全土へ轟けと言わんばかりに、大きな大きな“二度目の産声”を。

「いっぱいの“い”を“お”に替えて十回リピートを三セットォォォぉぉぉ―――ッ!!」




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