1.拳銃少女


「……私、ね。旅に出る前に――……人の命を奪ってしまったことがあるの」

 大切な友達から辛い想い出を打ち明けられたのは、彼女が戦場に赴く直前のことでした。
 彼女は――フィーナちゃんは、世界中を旅して回る冒険者をしています。
私自身が殆ど世間を知らず、分からないことばかりなのですけれど、冒険者と言う仕事は大変危険で、
旅先で受けた様々な依頼――危険地帯の調査や物資の搬送にボディーガードなど、内容は多岐に亘ります――を達成し、
報酬を得て暮らしているそうです。
 そのような危険を冒し、対価として日々の糧を得る旅人を指して、エンディニオンでは「冒険者」と呼ぶのです。
 前人未到の遺跡を次々と発見したマイク・ワイアットと言う方がつとに有名です。
『ワイルド・ワイアット』、『冒険王』など幾つもの通り名をお持ちでしたが、そう呼ばれるだけの方だったと記憶しています。
幾度か、私もお会いしたことがありますが、とても好奇心旺盛な方で、才能に満ち溢れていたとも記憶しています。
パートナーの妖精さんとすごく仲良しでした。

 類稀なる冒険王と接する機会に恵まれたのは、 私――ミスト・ピンカートンがマコシカと言う古代民族の出身だったからです。
 外界の方から秘境とも呼ばれる奥地に暮らすマコシカの民は、
創造女神イシュタルと、そこに連なる神人(カミンチュ)の伝承を守り、語り継ぐことを使命としてきました。
 古代遺跡の発掘を専門にされるマイクさんにとって、マコシカに残る伝承は何にも勝る手掛かりだったに違いありません。
文献のひとつひとつに興奮していたことが思い出されます。
 私は、その集落で育ってきました。マコシカの民のみが纏うことを許される装束も、
神人に接触して神威(ちから)を賜る『プロキシ』の秘術も、大きなエンディニオンの中に在って、極めて小さな世界さえも――
これを遥かな裔(すえ)にまで繋いでいくことが私たちの運命であって、不自由や窮屈と感じることもありません。
 外の世界とは殆ど接点を持たず――と言っても、お父さんは外から入ってきた人なのですけれど――、
このまま一生を終えるのだと、何ひとつ疑っていませんでした。
 波乱万丈とは程遠く、平凡かも知れないけれど、幸せな一生だと思います。

 フィーナちゃんは私の小さな世界に初めて飛び込んできた、「外の世界の友達」だったんです。
 初めて会ったのは、そう――宛先不明で宙に浮いてしまった一通の手紙を、ラスくんが“差出人”に届けてくれたときのこと。
 “ラスくん”は、本名をニコラス・ヴィントミューレくんと言います。
普段はアルバトロス・カンパニーと言う運送会社で働いている男の子で――私の、……大切な人。
 マコシカの集落がどこに所在しているのかが分からず、迷子になっていたラスくんを道案内し、
私たちを結びつけてくださったのが、他ならぬフィーナちゃんだったのです。
 何でも、それが冒険者としての初仕事だったとか。
 フィーナちゃんには同じ故郷の友達がたくさんいます。鳥さんのクリッターでフィーナちゃんのパートナー、ムルグちゃん。
フィーナちゃんとお付き合いをしているアルフレッドさんに、元気いっぱいのシェインくん。
 みなさんともすっかり意気投合して、お父さん以外から教えて貰う外の世界の話が新鮮で楽しくて、
……そこで私は満足してしまったんです。だから、大切なことを見落としていたのです。
 人を傷付けることを嫌うフィーナちゃんが、どうして銃を取って旅をしているのか。
素敵なお嫁さんとしてアルフレッドさんと暮らすのが一番似合っているのに、どうして故郷を出てしまったのか。

 人殺しの罪をどうやって償うべきなのか、それを探す為に私は荒野へ出発(で)たんだよ――
冒険者として荒野を旅するようになったきっかけを、フィーナちゃんはそう語ってくださいました。

 シェインくんはマイクさんに憧れて冒険者を志すようになったと教えて貰いました。
それと同じような理由がフィーナちゃんにも有るのだろうと、私は勝手に思い込んでいたのです。
旅の道中、冒険者の師匠に巡り会えたとも聞いていたから……。
 旅の始まりに悲しい想い出があったなんて、少しも考えてあげられませんでした。

 フィーナちゃんたちが生まれ育った山村は、グリーニャと言います。
 みなさんが暮らしていた当時のグリーニャは、悪質な廃棄物処理業者に土地の一部を牛耳られていました。
 業者側はゴミを未処理のままで野山に投棄し、ついには村の自然まで汚染されてしまったとか。
 当然、グリーニャの方々は撤退を求める住民運動を起こします。けれど、業者側は全く取り合おうともせず、
何度も何度も諍いが起きたそうです。
 ……同じコトをマコシカにされてしまったら、私だって怒ったと思います。
お母さんなんて、きっとジャマダハルを振り翳して処理場に突撃しちゃうんじゃないかな。
 故郷を愛する気持ちは、誰だって変わりません。故郷を踏み躙られたら、誰だって許せなくなります。
 シェインくんもそのひとりでした。道を踏み外した卑怯なやり方を我慢できなくなり、
たったひとりで廃棄物処理業者に戦いを挑んでしまいました。
 それは、あまりにも無茶な挑戦でした。小さな子どもがひとりきりで危険な集団へ立ち向かって勝てる筈もありません。
あっと言う間に業者側に捕まってしまい、これが直接の引き金となってグリーニャは村を挙げて戦う決意を固めました。

 ――グリーニャの運命を賭けた合戦の始まりです。

 グリーニャの側で指揮を執ったのは、アルフレッドさんでした。
 グリーニャで実家の電器店を手伝っているアルフレッドさんですが、以前はアカデミーと言う士官学校に通っており、
この戦いでは村の皆さんから「軍師」として頼られたそうです。
 「軍師」と言う言葉には幾つか意味がありますが、アルフレッドさんは戦略家として期待されていたのでしょう。
事実、アルフレッドさんの立てた作戦には少しの隙もありませんでした――と言っても、私は戦争のことは分かりませんし、
「隙がない」と言う評は、合戦の話を訊いた私のお父さんのものです。

 恥ずかしながら、合戦のこともお父さんの聞きかじりなのですが――。
 アルフレッドさんは戦力の差を埋める為に奇策を講じました。先ず処理施設の敷地に火を放って敵を混乱させ、
ガードマン――業者側の戦力と言うことになります――を誘き寄せてひとりずつ倒していったのです。
 ガードマンが誘導された先は深い森の中。村の出身者には小さな頃から慣れ親しんだ庭のような場所ですが、
業者の人たちはそう言うわけにも行きません。ただでさえ悪い足場に悪戦苦闘し、挙げ句の果てには落とし穴の罠に嵌められ、
フロストと言う冷気のプロキシで蓋をされて閉じ込められてしまいました。
 この合戦には私たちマコシカの仲間も加わっています。
 偶然でしょうか、それともひとつの運命なのでしょうか、護衛としてグリーニャに派遣されたホゥリーさんです。
冒険者として外の世界に出ていたホゥリーさんは、グリーニャ出身の同業者から頼まれて村に赴き、
アルフレッドさんたちと一緒に戦ったと訊いております。
 フロストのプロキシで落とし穴に蓋を作ったのも、もちろん、ホゥリーさん。
これで敵の数を一気に減らしたアルフレッドさんは、いよいよシェインくんの救出を敢行しようと試みました。

「――攻撃を開始しろッ!」

 士官学校の卒業生らしいアルフレッドさんの勇ましい号令を受け、グリーニャの皆さんは処理施設にまで攻め入り、
悪徳業者の社員たちを蹴散らしました。
 この戦いの少し後、アルフレッドさんはテムグ・テングリ群狼領の御屋形様、
エルンスト・ドルジ・パラッシュさんに才能を見込まれ、騎馬軍団の軍師として働くよう誘われることになるのですが、
その成り行きにも納得できる戦いでしょう。
 ……ですが、全てがアルフレッドさんの目論見通りに進むことはありませんでした。
どうしようもなく追い詰められたとき、悪徳業者のひとりが人質にされていたシェインくんへ危害を加えようとしたのです。
 村の一員として救出作戦に加わり、処理施設まで入り込んでいたフィーナちゃんは、咄嗟に引き金を引いてしまいました。
もちろん、その人を傷付ける為ではありません。驚かせて追い払おうと言う威嚇が目的です。

「止まって――ッ!!」

 そう願って引き金を引いたと、フィーナちゃんは当時のことを語ってくださいました。
 その話を聞いたとき、運命とはかくも残酷なのかと私は涙を止められませんでした。
フィーナちゃんの手前、私のほうが泣いては申し訳ないと自分に言い聞かせたのですが、どうしても上手く行かなくて……。
 フィーナちゃんが携えるリボルバー拳銃は、彼女がヴィトゲンシュタイン粒子を基にして具現化させたトラウムです。
しかし、これはとても扱いが難しく、訓練を受けていない素人は、発砲したときの反動に振り回されてしまうと伺いました。
 フィーナちゃんも火薬の炸裂に弾き飛ばされ、銃口が大きくブレてしまい――
次の瞬間、彼女の目の前には左胸を撃ち抜かれた亡骸がひとつ転がっていたのです。
 この死を以ってして、ひとつの合戦は終わりました。そして、この合戦を境にグリーニャの歯車も大きく狂っていきました。

 ……これが、フィーナちゃんから打ち明けられたことの全てです。
 拳銃のトラウムを初めて具現化させたとき、フィーナちゃんは自分を責めて責めて責め抜いたと言います。
 私たちが女神イシュタルから授かったトラウムとは、その人が心の奥底にて希う何かを形にしたものなのだそうです。
 そのときのフィーナちゃんを思うと、私も胸が締め付けられます。自分は人を傷付けるような力を望んでいたのか――と、
ずっとずっと苦しんだのでしょう。誰にでも分け隔てなく優しく接するフィーナちゃんにとって拳銃を持つと言う行為は、
そのまま自分を否定するようなものです。
 その力を使って、人の命を奪ってしまった。シェインくんを助ける為とは言え、……それこそ不慮の事故だったとしても、
誰かの人生を閉ざしてしまったことに変わりはありません。
 ……家族の支えがなければ、もしかしたら自分の命を償いに捧げたかも知れないと、
そこまでフィーナちゃんは思い詰めていました。
 世界中の誰よりも優しいフィーナちゃんなのに、降りかかる運命はどうしようもなく過酷で――

「アナタ、人を殺したのね? そっかー、殺人やったら村にはいられないね。追い出されたんだ?」

 ――あるときは人を殺めた過去が露見し、残酷なくらい責められたこともあったそうです。
 フィーナちゃんと一緒にマコシカの集落へやって来たトリーシャさん。あの方が心の痕を惨たらしく抉ったのです。
 フリーライターとしてペンを武器にするトリーシャさんだから、殺人と言う罪を暴き立てるのは彼女なりの正義だったのでしょう。

「殺人は今や法で裁かれることがない。それっておかしいでしょ? なんであれ人の命を同等である同じ人間が奪っていいものじゃない。
その人の、その人に関係する人の大切なものを奪ったやつがのうのうとしてるなんてアタシは許せないね」

 ……フィーナちゃんの心は引き裂かれてしまったかも知れませんが、「だからアタシなりに裁くんだ、このペンでね!」と、
そう仰るトリーシャさんの信念は決して間違ってはいないと思います。……割り切れない思いは、確かにありますけれど。

「ご遺族に謝罪は? アナタのご両親はなんて言った? ねぇ、どうして? どういった経緯で? 誰を殺したの?」

 トリーシャさんの、いえ、殺人を許せないジャーナリストからの難詰は、フィーナちゃんを執拗に追い詰めました。
彼女と自分とを比較したフィーナちゃんは、「この人は私と違って真っ当に生きている」と、
一時はそこまで落ち込んでしまったのです。


 犯した罪の重みを改めて思い知り、心身ともに打ちのめされてボロボロになったとき、
フィーナちゃんの前に思いがけない人が現れます。
 もしかすると、それは必然の出会いだったのかも知れませんね。フィーナちゃんが置かれていた状況を考えると、
イシュタル様のお導きとしか思えません。
 ハーヴェスト・コールレイン――『セイヴァーギア(救世の剣)』の通り名でも知られる女流冒険者です。
西に困った人がいれば駆け寄り、東にアウトローがあれば退治に走る――
正義の味方を地で行かれるようなハーヴェストさんと巡り会ったフィーナちゃんは、
彼女に自分のことを裁いて欲しいと願い出たのです。

「ハーヴさんになら――正義の人になら、私の過ちを裁いて貰えると思ったんです」

 それは、とても悲しい決断です。
 命を奪った償いの為、家族に支えられながら故郷を旅立ったと言うのに、
全てを諦め、投げ出し、断罪を他者に委ねると言うことですから。

「事情がどうであれ、私は人の命を奪ってしまいました。アルや村のみんなは仕方なかったって庇ってくれますし、
あそこで引き金を引かなかったら、シェイン君も危なかった―――誰かを守るために銃を取ることは、
きっとハーヴさんの正義にも通じると思います」
「言い訳はしないほうが身の為よ? 正義に対して意見すれば、それだけキミの望む判決から遠ざかるし、
償いの意志を疑われてしまうわ」
「言い訳じゃなくて……大事なものを守りたいからって誰かを犠牲にして良い理由にはならないじゃないですか。
犠牲が出るのを当たり前だなんて、私は絶対に思いたくない。……だから、裁かれなきゃならないんです。
人の命を奪うような人間には、その罪を償う義務がありますから。そうでなきゃ……裁かれなきゃ……、
エンディニオンはおかしい……おかしくなっちゃうっ!」

 今でこそ冒険者のひとりとしてフィーナちゃんやシェインくんに同行しているアルフレッドさんですが、
元々は弁護士を志していました。私が聞いた話では、アカデミーへ進学したのも、弁護士の資格を取得する為だとか。
 それだけにフィーナちゃんも犯した罪を償いたいと言う気持ちが強かったのでしょう。
死罰で裁かれたいと言い募ったなんて、……この話を初めて耳にしたときにも、私は涙が止まりませんでした。
 罪と罰の意識を確かめる問答を経て、ハーヴェストさんは意外な答えをフィーナちゃんに示しました。

「――生きるしかないんじゃないかな。キミは生きなきゃならないんだ、フィー。奪った命の分まで。
殺めた命の重みを背負いながら、犯した罪と向き合いながら生きることがキミにとっての償いなんだ」

 許されざる罪人として処刑されても後悔はないと考えていたフィーナちゃんには、
ハーヴェストさんの下した“判決”は予想外のものだったのでしょう。
最初、自分が何を言われているのかさえ分からなかったそうです。

「自分を傷つけるようなことも言わないほうがいい。自分を貶めることと償いとは違うんだからね」
「許せないのにですか? 何の償いもできない自分を、私は……っ」
「……キミはもう十分に裁きと報いを受けているよ」
「そんなことありませんっ!」
「キミは犯した罪に対して既に償いを始めてるじゃないか。悔やみ切れない罪と向かい合って、罰を受け入れようとしている。
これぞまさしく正義の償いだとあたしは判決を下したんだ。その震えが、その涙が、キミの償いの証だよ、フィー」

 生きろ――故郷に残してきたお母様からも同じ言葉を掛けられたと聞いています。
そして、その言葉が持つ意味を本当に理解できたのは、この瞬間だったとも。
 このとき、ハーヴェストさんが語ってくれたことは一生涯の宝物だとフィーナちゃんは教えてくれました。
 正義の味方として大活躍されるハーヴェストさんでさえ、悪者の退治には手加減はしません。
「悪は必ず倒す。そこで何かを躊躇っては、いずれ悪は蘇る。そのとき、犠牲になるのは誰かの平穏だ」。
以前、新聞の取材を受けたときにハーヴェストさんはそのように語っておられました。
 そのハーヴェストさんでさえ考えていなかったことに、フィーナちゃんは全力で向かい合っている。
尊い生命や銃を取る恐ろしさと、本当の意味で向き合っている――やっぱりフィーナちゃんは勇気ある人なのだと思います。
 フィーナちゃんの勇気は、ハーヴェストさんだけでなく、友達の私も保証します。
自分はとても弱い人間だとフィーナちゃんは言いますけれど、彼女ほど強い人を私は他に知りません。
 普通なら口を聞かないくらい拗れてしまいそうなトリーシャさんとも和解して親友になれるのだから、
……本当にすごいよ、フィーナちゃん。

「あたしですら避けていることと真剣に向き合えているキミには、笑顔のまま生きる資格と義務がある。
人を殺めた状況や情状酌量なんて何の気休めにもならないから、そんなのは最初から問わないよ。
……あたしは、正義の天秤にキミのハートをかけて測っただけだから。
その結果が――生きろって結論なのよ。あたしにも持てない強さを、キミは持っているんだ。
そんなキミにしかできない償いもある」

 フィーナちゃんを正義の同志として認めたハーヴェストさんは、それからもお師匠様として彼女を導くことになります。
 本当に良いお師匠様なのでしょう。ハーヴェストさんのことを話してくれるフィーナちゃんは、いつだって楽しそうです。
 キミは一人きりじゃない――ハーヴェストさんがそう励ましてくれたからこそ、
どれだけ苦しくとも生き続ける決意ができたのだと、フィーちゃんは教えてくれました。


 マコシカの集落への行き方が分からず、立ち往生を余儀なくされていたラスくんとフィーナちゃんたちが出会ったのは、
その前後のことだったそうです。
 皆さんを引き合わせたのは、『星詠みの石』と呼ばれる遺跡でした。
 原理が完全に解き明かされたわけではありませんが、この世界にトラウムを現出させるには、
ヴィトゲンシュタイン粒子――具現化粒子と言う名前もあります――と呼ばれる不思議な光が必要になります。
この粒子が使用者の念に応じて物質化、あるいは炎や冷気など様々な恩恵を我々人間に授けてくださるのです。
 『星詠みの石』とは、そのヴィトゲンシュタイン粒子の発生源とも伝わる結晶体なのです。
 偶然、『星詠みの石』が所在する町に滞在していたフィーナちゃんたちは、
道に迷って右往左往するラスくんやサムさんを助けようと声を掛け、そこから全てが始まりました。

「だからどうするんだよ」
「あ、まてまて、よく見ろこことここの地形は同じだぞ」
「あ、てことはフィガス・テクナーはこっちの方か…?」

 このとき、ラスくんと、そのパートナーさんであるサムさんは本当に大弱りだったそうです。
 いつの間にか迷い込んだ『星詠みの石』から出ようにも手持ちの地図にはそんな地名は載っておらず、
町行く人に尋ねても埒が明かない。マコシカの集落へたどり着くどころの話ではなくて、
会社に帰ることさえできなくなっていたのです。
 モバイルも通じなかったと言うのですから、これ以上、心細いことはありませんよね。
それなのにお金は問題なく使えたので、余計に混乱しちゃったのかな……。
 すれ違う最中にラスくんと目が合い、手を差し伸べることになったアルフレッドさんですが、
事情を聞いても何ひとつ手掛かりが見つからなかったとか。
 ふたりの頭の中には、はてなマークが浮かびっぱなしだったでしょう。
 ラスくんが勤めるアルバトロス・カンパニーはフィガス・テクナーと言う大都市にあります。
サムさん曰く、「どこへ行ってもフィガス・テクナーって言えば大抵の人はうなづいてる。電子部品の開発研究が盛んな所だからな。
知らないやつなんていないさ」とのことですが、アルフレッドさんには聞き覚えがありません。
反対にラスくんやサムくんは、世界一の大都市であるはずのルナゲイトを知りません。

「迷ってからずっとこうなんだ。知らない人なんていないフィガス・テクナーの名前を出しても全員首をかしげるんだぜ。
おかしいったらありゃしねぇ。なんだ? みんな揃って記憶喪失なのか? それとも新手のドッキリか? 
そりゃーいただけねぇや。オレ達たった二人のただの一般市民を脅かすだけにいくらカネかけてんだよ!」

 『星詠みの石』へ到着した時点でサムさんの鬱憤は限界まで達しておりました。
 グリーニャ以来、アルフレッドさんたちに同行していたホゥリーさんが
「マコシカに行くって? なんなら連れて行ってあげようかぁ?」と取り成してくれたので、その場はなんとか落ち着きましたが、
誰にもなければ、サムさんの血管は大変な事態(こと)になっていたでしょう。

「まーったく、こんな手紙一通の所為で飛んだ目に遭っちまった」

 サムさんのこの一言には、正直なところ、心が痛みます。
私が余計なことをしなければ、おふたりがこんなに苦しむ必要もなかったのですから。
 おふたりが返信先に届けようとしていたのは――他ならぬ私が投函した手紙だったのです。
 宛先のない、虚しい手紙……。
 私なりにありったけの気持ちを込めて、宛先も書かずに投函したのですけれど、
郵便物を取り扱う方々にとっては迷惑でしかありませんよね。
 不思議な偶然からアルバトロス・カンパニーのもとに辿り着いた宛先不明のこの手紙には、
ラスくんたちは最初の段階で扱いに困ったと伺いました。
 まさか、自分の出した手紙がそこまでの迷惑を掛けているとも知らず、私はお母さんたちと一緒に集落を留守にしていました。


 アルフレッドさんたちが集落に到着した頃、私たちはある人の依頼で古代遺跡の調査に出掛けていました。
 グリーニャ出身で、アルフレッドさんにとっては同郷の先輩にもあたる敏腕冒険者、
フェイ・ブランドール・カスケイドその人が依頼主です。
 フェイさんはケロイド・ジュースさん、ソニエ・ルナゲイトさんと言うふたりのお友達とチームを作っているのですが、
何を隠そうソニエさんはマコシカで修行を積んだレイライネス(術師)。お母さんの直弟子なのです。
私も昔から親しくお付き合いさせていただいておりました。
 エンディニオンの乱世を憂うフェイさんは、マコシカに伝わる伝説の勇者『ワカンタンカのラコタ』が
イシュタル様より授かったと言う聖剣エクセルシスを探し求めておられました。
 遥か神話の時代――イシュタル様に仇をなした破壊神ドゥムジとワカンタンカのラコタとの聖戦にも
用いられたと言うエクセルシスを復活させることができれば、邪悪な意志をも断ち切れるとフェイさんは考えられたそうです。
 そこでソニエさんが一肌脱いでお母さんに掛け合い、聖剣が安置されていると思しき古代遺跡へ向かったのです。
 マコシカの民には『レリクス』と呼ばれる超古代の遺産が伝えられています。
エンディニオンの始祖とされるルーインドサピエンス(旧人類)よりも更に古い時代の遺産ですね。
聖剣エクセルシスとは、レリクスの中でも最高位に在る遺物(もの)。マコシカにとっては、まさしく秘宝中の秘宝です。
 マコシカの酋長を務めるお母さんはフェイさんの真摯な想いを認め、
エクセルシスが眠ると言う遺跡、グラストンベリーに案内しました。
 及ばずながら私もこの探索に同行させていただきましたが――……結果は芳しいものではありませんでした。

 願った成果を挙げられず、気落ちして帰ってきたところで集落が争いの場になっていたのですから、
心臓が飛び出すくらい驚きましたよ。
 集落にやって来たアルフレッドさんやラスくんたちへマコシカのみんなが襲いかかろうとしていたのです。
 ケンカ別れしたラスくんに仕返ししようとサムさんが集落のみんなを唆したのですけど、それにしても暴力はいけません。
フェイさんが仲裁に入ってくださったお陰で乱闘騒ぎにならず済みましたが、本当に危ないところでした。
 誰も彼も悪い人ではありませんから、和解してまで蟠りを引き摺ることはありません。
その夜の宴は、私の人生の中でも宝物のような時間となりました。
 同じ“読書”が好きと言うことでフィーナちゃんとは一気に打ち解けたんです。
正直、ここまで“趣味”が合う人は初めてでした。フィーナちゃんも同じ感想(こと)を言ってくれましたが、
出会って一時間も経たない内に他人とは思えなくなってきて……!

「やっぱり、インテリ系は鬼畜攻めだよねっ!」
「あ、あのっ! リバもアリだと思うんですっ! 普段、攻めを崩さない人が一転弱気になるギャップと言うか……!」
「ミストちゃんっ! ……ミストちゃんは世界の真理を突いているッ!」

 あの夜に交わした熱い握手を、私は決して忘れません。
 アルフレッドさんは「……意味がわからない……」としきりに首を傾げておられましたが、それで良いのです。
 乙女の秘密は男子禁制です。

 夜の宴は、もうひとつ忘れ難い思い出を私に与えてくれました。
 宛先不明の手紙でアルバトロス・カンパニーのみなさんには大変な迷惑を掛けてしまいましたが、
ラスくんはそのことも許してくださいました。そればかりじゃなく、私が抱える“事情”まで心配してくれて……。
 だから、私も一番の秘密をラスくんに打ち明けられたのです。

「お父さんとお母さんに出したんです……あのお手紙」
「両親に? 結婚記念日のプレゼントか何かなのか?」
「そう言うわけでは無いのですけど……」
「まあ、理由は訊かないが、手渡しすりゃいいじゃないか。村にいるだろ? 手渡しは照れ臭いかもだけど、
次からはせめて住所は書いてくれよな」
「……いえ、ピンカートンの両親じゃなく……本当の両親に。レイチェルお母さんとヒューお父さんは私の育ての親で、
生みの両親じゃないんです」

 私を産んでくれた、「アルフレッドお父さん」と「マリスお母さん」。雪の降る寒い夜、集落の入り口に私を置いていった人たち。
 今となっては、産みの両親を恨む気持ちはありません。きっとやむにやまれぬ事情があった筈です。
 今だから、はっきりと言えます。マコシカのみんなと引き合わせてくれたことに、私は心から感謝しています。
レイチェルお母さんとヒューお父さん、ミルクシスルちゃんたち――みんなみんな、掛け替えのない大切な人たちです。
そんな人たちに囲まれて、私は本当に幸せなんです。
 だから、私から言えるのは、「ありがとう」。せめてふたりに感謝を伝えたくて、手紙を出し続けていました。
どこにいるのかも知れない、「アルフレッドお父さん」と「マリスお母さん」に――。

 ……なんだか、頬が火照ってきました。出会って間もないラスくんに私の一番大事なことを話してしまうなんて。
もしかして、私、すごく恥ずかしいことをしていたんじゃないかなぁ……。
 でも、当時はそんなことを振り返る余裕なんかありませんでした。
私も一杯いっぱいでしたし、何よりラスくんが辛そうな顔をしていましたから。
 私の話が原因だったことは間違いありません。けれども、ラスくんはお酒に悪酔いしただけと言って、
私に心配を掛けないよう気を遣ってくれて……。
 本当なら私のほうから支えなければいけなかったのですが、結局、支えられたのは私のほう。
ラスくんは数少ない手掛かりをもとに「アルフレッドお父さん」と「マリスお母さん」を捜してくれると申し出てくれたのです。
 ……ラスくんは本当に優しい人です……。


 もちろん、アルフレッドさんも優しい方ですよ。
 友達のミルクシスルちゃんは、私の産みの親と同じ名前だからと言って毛嫌いしていましたが、
いくらなんでも、それはアルフレッドさんに失礼ですよ。
 偶然にしては出来過ぎですけれど、アルフレッドさんと私が実の親子なんて有り得ません。
第一、私のほうがアルフレッドさんよりちょっとだけお姉さんなんですから。
 そのアルフレッドさんは、ラスくんに特別親しみを感じていたようです。
 フィーナちゃんたちと一緒に集落を発つ朝、暫し滞在することに決めたラスくんをアルフレッドさんはお散歩に誘っていました。
ひとまずお別れですから、これまでの道のりで結んだ絆を再確認したかったのでしょう。
 ラスくんにも同じ気持ちがあったに違いありません。その朝、初めて「アル」と愛称で呼んだのです。
依頼主と冒険者の間柄ではなく、本当の友達として――。
 アルフレッドさんにもラスくんの気持ちは伝わりました。その答えが「ラス」と言う愛称なのでしょう。

「不思議な縁を与えてくれた女神イシュタルに感謝するよ。次の旅でも素晴らしい出逢いに恵まれますように」
「ああ、ありがとう。お前たちが帰るべき場所に帰れることを俺も祈る」

 黄金色の朝日の中、ラスくんとアルフレッドさんは何より固く、とても熱い握手を交わしたのです。
 ……その情景(こと)を知った瞬間、フィーナちゃんは鼻血が迸ったそうです。
 かく言う私も、……えっと、ここだけの内緒なんですけれど、涎が込み上げて来て大変でした。
「普段、攻めを崩さない人の態度が一転するギャップ」のことをフィーナちゃんと語らったばかりですもの。
 リバはアリ――フィーナちゃん曰く世界の真理――だと改めて確かめさせて頂きました。ご馳走様です。

 リバ――もとい、アルフレッドさんは、人と人との繋がりをとても大事になさる方なのだと思います。
 先輩冒険者でもあるフェイさんのことをお兄さんのように慕っておられましたし、
恩人であるジョゼフさんが命の危険に晒されていると知ったときには、何を置いても助けようとされました。
 決して悪い人なんかではありません。……悪い人ではないのですけれど――

「幾年月――幾年月も待ち侘びて、恋焦がれるうち、いつ明けるとも知れない夜の巡りを数えるのには
慣れたつもりでいたのですけれど――ふふっ……いけませんわ。もう歯止めが利きません。
銀の月の静かな輝きへ情熱の炎を灯す貴方にこそ、恋の衝動と愛の宣誓を約束して欲しいのです。
やっと逢えましたね、アルちゃん……っ」

 ――浮気はいけません。フィーナちゃんと言う可愛い恋人がいるのに、どうして他の人に目が移るのでしょうか……。
 どうしようもない事情があってマリスさんと――私の産みのお母さんと同じ名前を持つ女性と、
アルフレッドさんはお付き合いすることになったそうです。
 おふたりが交際していたのはアカデミーの頃。
 アルフレッドさんの中には卒業と共に関係も解消されたとの考えがあったかも知れませんが、
マリスさんのほうは音信不通になった後も方々を訪ね歩き、彼を捜し求め、とうとう旅先まで追いかけてきたのです。
 このときのフィーナちゃんの気持ちを思うと、私まで悲しくなってしまいます。
浮気されていたことを初めて打ち明けられ、あまつさえその相手が旅にまで加わると言うのですから……。
 フィーナちゃんはそのことを全て受け入れ、アルフレッドさんがマリスさんに“真実”を告げる日を待つと決意をしました。

「全部に決着がつくまで、私はアルを許してあげない。……でも――信じてる」

 ……こんなときにまで我慢しなくたって良いと思います。我がままを言っても許されるはずです。
誰よりも自分が傷付いているのに、それでもフィーナちゃんはアルフレッドさんとマリスさんの気持ちを一番に考えました。
 集落に滞在している間、ラスくんはフィーナちゃんとアルフレッドさんがどんなに仲良しかを話してくださったんです。
 旅の道中、フィーナちゃんがカレーを作ったときの話は私も大好きでした。
 フィーナちゃんは隠し味としてチョコレート一欠けらをカレーに加えたのですが、
その細かな変化さえアルフレッドさんは見逃すことがなかったと言います。
 ラスくんは「よっぽど相手のことを気に掛けている証拠」と微笑ましそうに話してくださいました。
 それなのにフィーナちゃんの心は一番惨い形で裏切られてしまったのです。
 ……誰にも喋ってはならないのですけれど、アルフレッドさんのこと、ちょっとだけ見損ないました。
こんなにも残酷な話を、私は他に聞いたことがありませんから――。




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